乳牛

バイト帰りの道にですね、町内掲示板みたいなのがあるんですよ。どこの町にも必ずみかけるようなアレ。町内の連絡事項やら探し人やら探し犬やらこの顔みたら110番とか、そんな感じの紙を貼り付けるアレ。しかし僕がバイト帰りにいつも出会う掲示板には、その手の瓦版的要素はこれっぽっちもなくて、どこぞの習字教室のものか近所の小学校のものか知りませんけど、小学生によるお習字が掲示されているのです。ま、これもよくあるっちゃあよくある話ですよね。しかし僕はバイト帰りにその掲示板を見かけるたび、たちまち目を奪われ電柱にぶつかりそうになるのです。今日はドブにはまりそうになりました。何故か?
「乳牛」なんです。
その掲示板、週に一回くらいは張り替えられてお習字が更新されるのですが、何故か、必ず、8枚掲示してあるうちの何枚かは必ず、「乳牛」なのです。乳牛? 乳の、牛? 小学生がたしなむお習字というのは、僕のイメージではですね、「青空」とか「正月」とか「希望」とか「光」とか、とにかくそのようなものであって、決して「乳牛」ではない。しかし現実に「乳牛」が所狭しと並んでいる。困惑ですよ。混乱ですよ。メダパニアンですよ。名前を見ると、「小五 ○○○子」とある。○子、つまり女の子。年端もいかぬ女の子に「父」ではなく「乳」を書かせる。昨今の学校教育はけしからぬ、と僕も噂には聞いていましたけど、ここまでとは。アレですか、お習字の先生(59歳男性・独身)は「ええか、ええのんか、この乳の、右の部分のな、ハネが重要なんや、右の乳が、ハネやハネ、ピンとハネるんや」とか言って威風堂々と小学生に指導しているわけですか。小学生も小学生で「ハイ、せんせい! 右乳はハネます!」とかほがらかに微笑むわけですか。異空間だ。僕は自分の足場ががらがらと崩れていくのを感じます。ゆとり教育の名の下に、大いにゆとりまくる毛筆の授業。右乳。ハネ。ええのんか。


――何の力もない僕がインターネットなんていうせせこましい媒体を使用し叫んだところで世の中には何の影響もなく、59歳独身男性毛筆教師の乳牛レクチャーは続いていく。少女は、右乳をハネさせていく。流れるような筆さばきでもってハネさせていく。レ・ミゼラブル。僕は、23年という短くも長ったらしいこれまでの人生で、今日という今日ほど大学で教職課程を履修しなかった己の愚行を悔いたことはない。イッツ・ノー・ユース・クライング・オーバー・ザ・スピルト・ミルク。覆水盆にかえらず。


蛇足になりますが、今朝、例の掲示板に貼り付けられていた8枚の習字の語句をここに書き記し、この駄文を終わりにしようと思います。


「乳牛」「炭田」
「乳牛」「公的資金
「湖」「乳牛」
「乳牛」「移民」