FLY ME TO THE MOON

実家へ戻り(といっても自転車で5分)、飯を喰らってこようときました。母は一昨日から祖父の介護をするために九州は大分県へ旅立っていて、彼女の留守中に何か異変がないかどうか確認する意味も込めての里帰りです(といっても自転車で以下略)。テーブルの上にはメモが置いてあり、「それではいってきます カップラーメン食べていいよ ママン」と殴り書きされていました。(信じがたいでしょうが、母は家族用のメモの署名に『ママン』という言葉を使います。別に彼女はアルベール・カミュのファンでもないし、当然フランス人でもない)僕は周辺を見回しました。日清のカップヌードルがありました。これを食えということなんだな、と思いました。湯を沸かそうと思いました。ガスの元栓が閉められていました。開栓しようとシステムキッチンの下を覗き込んだら、わざわざ「私の留守中はガスを使わないこと ママン」というメモが貼られていました。しょうがない時間はかかるがポットでお湯を沸かそう、そう思った僕を待っていたのは「ポットは洗浄中だから使わないこと ママン」というメモでした。
僕はカップヌードルを片手に立ちすくみました。「食べらんないじゃんこれ」と呟きました。「ねえ、あたしの留守中にさあ、家の様子ときどき見に来てよ。なんか好きなもん食べていいからさ」と母が言っていたのを思い出しました。カップヌードルを眺めました。既に封を開けてしまったカップヌードルを眺めました。成分表も眺めました。身体に悪いなあと思いました。でもお腹は減っていました。果てしなく長い掃除機のコードを巻き込むときのような音が腹から出てきました。僕は倒れそうになりました。とにかく何かを食べなければ、この飽食の時代に餓死する危険性がありました。なんでもいい、とにかく胃へ入れなければ、切ないことになってしまいます。冷蔵庫をあけました。空でした。僕は冷蔵庫の扉を開けたまま、天を仰ぎました。フロンガスとともに僕の生気が立ちのぼっていくのを見ました。甘くねえ。呟きました。世の中、ホントに甘くねえ。帰ろうとして玄関へ向かいました。ドアには母が書いたメモが貼ってありました。「そうそう、カップヌードルがあったと思うけど、あれあたしも食べたいから、もし食べちゃったんなら新しいの買っといてね ママン」