「あ? メールフォームレス? んなもん読みたくねえよプゲラッチョー」という方へ、ここはピロプレというサイトのメ(中略)。さて、先日書いた「思春期と尿意と素晴らしきこの世界」という文章への反響が凄くて、そりゃもちろん弱小サイト内での「凄さ」ですけれども、とにかく凄かったのです。一年半とちょっとサイトやってきて、インターネットの中で見れば放屁のように短い歴史ではあれど、チマチーマとサイトやってて良かったと思いました。これからも僕は前立腺癌にならない程度に尿を我慢し続けます。

今度は便意に耐えながら文章を書いてみてください。

おお あなた ひどいひと! わたしに くびつれといいますか? 

最後のあたりで「お母さん」とでてくるのは、致命傷を負った兵士が「かあさーん」と叫ぶのと同じようなことなんでしょうか。

非常に興味深い視点です。尿意の限界と死の間際というものを同列に語るのもどうかと思いますが、あの時の僕は、確かに、死を(20代男性として守るべき最低限のラインを超えるということ)覚悟していたので、やはり共通するものはあるのかもしれません。ここから論を発展させていき、尿と戦争をサンプルに「極限状態と母」との関連性を証明できれば、僕はノーベル的な賞を頂くことができるでしょう。ノーベルがダイナマイトの発明者であるのをいいことに、授賞式では「ダイナマイトなハニ! でもインジャナイ! でもインジャナイ! メマイオコシソー! ゲチュ」と叫びつつ放尿するでしょう。ということは僕の社会的生命が抹殺されるということなので、やめておいたほうがいいと思いました(なんだこのレス)。

すげえ。感動した。 >愛が部屋で溢れちゃったら、困るだろう。 このフレーズにやられました。

ありがとうございます。僕も感動してます。シラフの状態(この文脈では、「尿意がない」ことをいう)で考えてみても、愛が部屋で溢れちゃったら、やっぱり困りますね。もう「スキスキスキスキ!」なことになっちゃいますから。たぶん一休さんも同じような心境だったのだろうな、と思いました。

初めまして。いつも楽しく拝見しています。 尿意を我慢するミカヂリさんをリアルタイムで感じたかったのですが、12時間ほど遅れてしまいました。残念です。もしかして、今もまだ我慢なさっているのでしょうか?もしそうなら嬉しいです。

はじめまして! ミカヂリです。リアルタイムで尿を我慢する僕を感じることが出来なかったとはいえど、あの時の俺たちはあの文章に詰まっているから大丈夫です。ちなみに文章を書き終えたあとダッシュで便所に行き放尿しました。一般的な意味とは違う「我慢ジル」がパンツに染みていました。危ない。というか、この方のメール、一見普通の感想に見えますけど、読み返すと結構おかしい。や、いい意味でね。なんというか、真面目にズレてる。僕と同じ匂いを感じる。

設定勝ち。 あったかい。お母さん。揺れる。ぬくもり。愛するということ。虹色。放物線。関係。琵琶湖。繋がり。繋がる。今僕は繋がる。 琵琶湖?と突っ込んどきました。

そこ、実は僕が一番気に入っている箇所なんですよ。いくら小便タコメーターがレッドゾーンでブンブンいっていて、単語の羅列にならざるを得なくなったとしても「琵琶湖」はないだろ、と読み返して自分で笑った。冷静に分析すると、ここでいう琵琶湖とは「広がり」と同義なのでしょうね。漏らした小便が止まらずにどこまでも広がっていくイメージ。あの頃の俺たちは、小便はいつまでも止まらないものなんだって無邪気に信じていたんだよ。

人間って限界を超えると「さすがの猿飛」あたりのホントどーでもいい記憶が蘇ったりするものなのですね。ていうかですね、独りの部屋でモニターに向かって「ひっひっひぃー」とか僕に言わせるあなたはステキです。ムテキングです。

第28代ムテキングを襲名いたしました、ミカヂリです。小便と猿飛にどのような関連性があるのか僕にはよくわからないんですけど、それはもう無意識下での意識の配合なのでしょうね。理屈で説明できるものではない。笑っていただけたのなら僕も尿を我慢した甲斐があったというものですよ。


他にも「面白い」にチェックを入れて送ってくださった方、本当にありがとうございました!