煙草屋のお婆様

僕が住んでいるアパートの近く、徒歩30秒あたりに煙草屋があります。煙草屋といっても、「○○商店」という名の、駄菓子やらコーヒーやらも売っているどこにでもある街角の個人商店なのですが、僕がそこを利用するのは煙草を買うときだけなので(例外的なのはボス・カフェオレを買うとき)、煙草屋と呼んで差し支えはありますまい。でですね、いきなりなぜそのようなことを書き始めているのかと申しますと、そこの店番をしているお婆様が、パッと見で80歳はくだらねえぜこりゃ、というくらい妙齢の女性なのですが、そのお婆様がそれはそれはロックンロールな方でありまして、これはご紹介しないわけにはいかないでございまっしゃろ、とサイト管理人としての義務感に駆られた次第であります。
僕はいつも自動販売機で煙草を購入するのでお婆様と顔をあわすことはないのですが、昨日は何の因果か僕の財布の中に福沢諭吉先生しかご在宅でなく、皆様ご存知のとおり福沢先生は自動販売機という存在が大嫌いでありまして、「天は自動販売機の中に人を作らずとイエリ」という名言を後世に残すほど自動販売機に吸い込まれるのを良しとしない士族の末裔でありますので、これは煙草屋の中へ入ってカートン買いをせねばならんなあ、と僕は思ったのです。そして僕は店の戸を開けようとしました。開きません。固い。いくら僕が非力といえども固すぎる。鍵がかかっているのかなあ、もう店を閉めちゃったのだろうか(そのときは午後七時過ぎでありました)、そう思った僕が踵を返そうとしたところ、奥からお婆様が颯爽と時速200メートルほどの速度で登場、戸に手をかけ、「ハグ!」と一喝、ピガシャーと開く戸、「ひらっしゃい」とお婆様。
ドリフ。僕の頭には即座にその単語が浮かびました。「ハグ!」などと奇声を発し戸を開ける老婆など見たことがない。しかし実際にそこに存在している。戸惑いつつもそのまま入り口で固まっていてもしょうがないのでいそいそと入店し、「あの、マルボロのソフトをカートンでください」と注文しました。お婆様、「は?」。僕、「いや、あの、マルボロを」。婆、「外で、買いなさいな」。僕、「いえ、一万円札しかないんですよ」。婆、「両替はお断りだよ」。僕「や、そこにあるマルボロのカートンを売ってほしいのですけど」。婆「あい?」。僕「いや、そこのカートンを」。婆「これ3000円もするよアンタ、外で買えば300円だよアンタ」。僕「いえあのだから万札しかないので」婆「両替はお断りだよ」僕「あのいえ」
ドリフ。僕はどのタイミングで「ダメダコリャ」と呟こうか、かなり真剣に迷いました。こんなときいかりや師匠がご存命ならば僕は教えを請うことができたのに。改めて偉大な才能を失ったことを悲しみました。しかしここで引き下がってはいけない。敬老精神をいかんなく発揮し、なんとか婆様の機嫌をとり、煙草を手にするまでは帰れない。一念発起。すうと息を吸い、一気に言葉を吐き出します。


「僕は両替に来たわけじゃなくて一万円札しかないので自動販売機では煙草が買えないんですよだからカートンで売ってほしいんですお願いしますほんとお願いします」
「あーはい、はい、そういうこと」


やった、通じた。全然駄目だこりゃじゃない。人間やればできるのだ。婆様がショウケースからカートンを取り出すのを眺めながら僕は小さくガッツポーズをとりました。婆様だって商売人なのですから、モノを売りたくないわけがないのです。きちんと説明してくれればわかってくれる。僕、笑顔。婆様、笑顔。広がれ、スマイル。世界を包め。


「おつりないけど、いいんねアンタ?」