三丁目の朝日

僕が住んでいるアパートの近く、徒歩30秒あたりに煙草屋があります。煙草屋といっても、「○○商店」という名の、駄菓子やらコーヒーやらも売っているどこにでもある街角の個人商店なのですが、僕がそこを利用するのは煙草を買うときだけなので、煙草屋と呼んで差し支えはありますまい。でですね、ちょっと前にその煙草屋のことについてちょっとしたことを書いたのですけど(id:mikadiri:20041110#1100075464)、そちらにも書いてあるとおり、店番をしているお婆様が、パッと見で80歳はくだらねえぜこりゃ、というくらい妙齢の女性なのですが、そのお婆様が返す返すもロックンロールな方でありまして、これはご紹介しないわけにはいかないでございまっしゃろ、とサイト管理人としての義務感に再び駆られた次第であります。
煙草を切らしますと、当然煙草が吸いたくなるわけでありまして、でも煙草はないのですから、当然買いに行くわけでありまして、ああ、嫌煙活動家の皆様、そんなシブガキ隊の睾丸を至近距離で眺めたときのような渋い顔をせずに聞いて下さい、今は喫煙という行為の是非を問おうとしているのではなく、煙草屋のお婆様がどれだけロックな人種なのかということをお話したいだけなのです。とにかく僕は煙草を買いに煙草屋へ赴きました。いつもは自動販売機に夏目漱石先生が千切りにされた紙片を吸い込ませる代償として700円と煙草を手に入れ、そのまま帰路につくのでありますが、喫煙を嗜んでいらっしゃる方は僕の気持ちもわかってくださることでしょう、そのとき、僕は、「コーヒーも飲みたいな」と思ったのであります。煙草とコーヒー、これは切っても切れぬ関係でありまして、コーヒーを飲みながら吸う煙草は当社比でマンモスおいピー、そう、のりピー語を駆使せねば表現できないくらい美味しいのです。であるからして僕は煙草の自動販売機の横に設置されたコーヒーの自動販売機と向き合い、品揃えを眺めました。と、ジョージアしかない。別に僕はジョージアを嫌っているわけではありませんが、例のテレビCMを見てるとブラウン管に大外刈りをかけてしまいそうなほどの嫌悪感に囚われる類の人間でありますので、ジョージアは勘弁してほしい。しかしジョージアしかない。途方にくれる。北風寒い。ハクション大魔王が僕の身体へオーラル・セックスを仕掛けてくる。当然くしゃみが出る。ブハクショイー!


「どうしたね」


前置きが長くなりまして申し訳ない、ここで「どうしたね」と僕に声をかけてきたのが、今日の本題であるところの、煙草屋のお婆様なのであります。僕が気づかなかっただけで、先刻からずっと、自動販売機の前で「チッ、ジョージアしかねえのかよドクソが」と毒づいていた様子を見ていたようでした。でないとこのタイミングで「どうしたね」と声をかけられるはずがない。僕は戸惑いつつ鼻をすすりました。いつもの自分なら、「いえ、なんでもないです」と答えそそくさとマイムマイムの足取りでその場をあとにするのですけど、何を思ったのか僕、「ティッシュ、ありませんか?」と訊いていたのです。しかしその時の僕を責めることはできますまい。くしゃみによって噴出した鼻汁が、勢い余って顔面下半分を支配し、そりゃもう「つの丸」的な、目も当てられぬ状態になっていたのですから。婆様ムフリと笑って頷き「とりあえず入ったらどうね」と入店を勧めました。「ティッシュ、ありませんか?」と口にしてしまった以上、断ることなんて出来ようはずもありません。「はい」と答えつつ(実際は鼻汁による言語発音システムの統制があったため『はび』)、僕は促されるまま煙草屋へ足を踏み入れました。
ああ、暖かい。暖かいよお婆ちゃん――となれば単なる心温まる街角エピソードで終了なのですが、そう簡単には行くはずありません。僕が店の戸を閉めようとすると、「ああ、お兄ちゃん、駄目。閉めちゃ駄目」と婆様一喝。鼻汁をすすり、「え?」と僕(実際は『べ?』)。「うちは開けっ放しにしとるんよ、いつも。子供たちが入りやすいように」。朝の7時に子供が駄菓子を買いにくるのか、とツッコミを入れられようはずもなく、僕は「わかりました」と答えました(実際は『わかびまじた』)。まあとにかくティッシュさえもらえればそれで良いわけで、無駄に口答えする必要はありません。カウンターに座る婆様、寒さに震える僕。カウンターで微笑む婆様、ハクション大魔王に鼻頭を舐められる僕。カウンターで鼻くそをほじくる婆様、「ブハックショイ!」僕。


「あの、ティッシュは……?」


無意味な沈黙に耐え切れずに僕は訊きました。すると婆様、目をしぱしぱさせて「はい?」


「いや、ティッシュ……」
「あえ?」(本当に「あえ?」と言ったのです)
ティッシュ、あったら頂きたいのですけど……」
ティッシュぅ?」
「ええ、ティッシュ
「うちは煙草屋をあーた、ティッシュはないねえ」
「いや、あの、でも、僕、ティッシュがないと」
「何あんた、コーヒー買うんじゃないんね、『店内にコーヒーあります』って張り紙見てたの、あれ嘘かね」
「嘘、っていうかあの、鼻水がですね」
「あ、わかったわかった。わかった」
「あ、いただけますか」
「兄さん、あーた朝っぱらからお盛んね。ティッシュ使うンね」
「え、あの、え?」
「あーわかっとるわかっとる。今持ってくるから」


ヌフと笑って奥へ引っ込む婆様。立ちすくむ僕。今のは、なんだ。下、ネタ。下品な、ネタ。僕は今、確かに、このお婆様が下ネタを、ほざきらっしゃるのを、聞いた。僕は、朝っぱらから、おなにぃに励む、男性として、しかもおなにぃに使うティッシュを求めてさ迷う、性欲に満ちみちた変態として、婆様に、認識、されたのか。コートの下は全裸とか思われているのか。いや、勘ぐりすぎた。落ち着くんだ。身体よ震えるな。手をさすれ。僕はズボンをはいている。パンティーだって身につけてる。下ネタのはずがないじゃないか。「お盛ん」というのは、婆様的には鼻水を指しているのだろう。そう、問題ない。問題ない会話のはずだ。にこやかに応対するんだ。うろたえるな。深呼吸。引いては駄目だ。引いては駄目だ。


「兄さん、ティッシュ持ってきたよティッシュ
「あ、どうもありがとうございます」
「でも兄さん、そんな可愛い顔してんのにいい人おらんのか」
「(1秒)はは、いませんよ、ははは、お婆さんも口がうまい」
「いやだ、アタシは今時の若い子みたいに口を使ったりはしないよ」
「(3秒)え、」
「なんかビデオとかでよく見るけど、あんなんアタシはできんね、舐めるとか」


僕は、