ロマンスの神様

村枝賢一の漫画が週刊少年マガジンに載っているという事実をうまく認識できないクリスマス、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 「いかがお過ごしでしょうか?」という書き出しもさすがに飽きてきたんですが、今日ばかりは訊かねばならぬでしょう。「皆さん、いかがお過ごしでしょうか?」 僕はコンビニエンスストアで延々とアルバイってました。ん、そこの貴方、どうですか? ああ、彼女と一緒に甘い夜を。それはそれは、それはそれはそれは、それはそれはそれはそれは、微笑まアップショー! おっといけない、もう慣れたはずなのに、ふとしたはずみで錯乱してしまいますよ。でも年中錯乱してた頃に比べれば落ち着いたものです。去年はね、「クリスマス連続更新」とか銘打って狂ったように怨恨の念を文字列へ注入し、フラストレイションヌを昇華していたんですが、やっぱり僕も年を取ったんでしょうか、もうクリスマスイブのバイト中にコンビニでカップルを見たとしても、「ああ、ピストン。」と大正文学的なニヒリズムを発揮しつつ呟くだけでやり過ごすことができるようになってしまいました。これは成長なのでしょうか、退化なのでしょうか。わからない。ただ、僕が思うのは、「ああ、ピストン。」、それのみ(普段はカギカッコの前に句点をつけるなんていう真似はしないのですが、今日は特別に大正的です)。達観したものです。たとえカップルが、男性器的ゴム製品を、しかも「暗闇で光る」ゴム製品を買っていったとしても、「ああ、ピストン。」と思うだけ。たとえカップルが、店内放送で流れるワムの「ラスト・クリスマス」を腕を組みながら重唱していたとしても、「ああ、ピストン。」と思う、だけ。たとえカップルが、「あーアタシフランクフルト食べたーい」「やめとけよ、後で食えばいいじゃん」「あ、そーだねー」なんていう会話を繰り広げていたとしても、「ああ、ピストン。」と思うだだだだだだだだだだダイヤモンドカッターダダダダダダダ


一年ばかりの間、いや一と月でも
一週間でも、三日でもいい。
神よ、もしあるなら、ああ、神よ、
私の願ひはこれだけだ。どうか、
身体をどこか少しこはしてくれ痛くても
関はない、どうか病気さしてくれ!
ああ! どうか……


真白な、柔らかな、そして
身体がフウワリと何処までも――
安心の谷の底までも沈んでゆく様な布団の上に、いや
養老院の古畳の上でもいい、
何も考へずに(そのまま死んでも
惜しくはない)ゆっくりと寝てみたい!
手足を誰か来て盗んで行っても
知らずにゐる程ゆっくり寝てみたい!


どうだらう! その気持は! ああ。
想像するだけでも眠くなるやうだ! 今著てゐる
この著物を――重い、重いこの責任の著物を
脱ぎ棄ててしまったら(ああ、うっとりする!)
私のこの身体が水素のやうに
ふうわりと軽くなって、
高い高い大空へ飛んでゆくかも知れない――「雲雀だ」
下ではみんながさう言ふかも知れない! ああ!
    ―――――――――――――――
死だ! 死だ! 私の願ひはこれ
たった一つだ! ああ!


あ、あ、ほんとに殺すのか? 待ってくれ、
ありがたい神様、あ、ちょっと!


ほんの少し、パンを買ふだけだ、五―五―五―銭でもいい!
殺すくらゐのお慈悲があるなら!