カラフル・パンプキン・フィールズ


 かぼちゃが嫌いである。どのくらい嫌いかというと、それはもう筆舌に尽くしがたいレベルの嫌いっぷりで、理由なんてものはなく、ただ、そこにかぼちゃがあるから嫌う。食卓にかぼちゃの煮つけが出れば失神し、スーパーの野菜売り場に近づけば失神し、「シンデレラ」を読めば失神し、ハロウィンという単語を聞けば失神する。最近ではテレビから「加藤茶」と聴こえてくるだけで失神できるようになった。これはもう病気ではないか、と思ったりする。

 しかし僕は負けたくない。かぼちゃなどにいちいち失神していては、男がすたるというものだ。僕はかぼちゃが嫌いであるが、同時に負けず嫌いでもある。かぼちゃに高笑いさせたまま泣き寝入りなどできない。させてなるものか。かぼちゃ憎し。憎悪を力に変えるのだ。僕はさっそく自転車を駆りだし、かぼちゃ畑へ向かった。小学校の通学路沿いにあるこのかぼちゃ畑のおかげで、僕は何回失神し、何回頭からドブへ突っ込んだことか。今思い出しても腸が煮えくりかえる。かぼちゃのせいで僕は入学初日に皆勤賞を諦めざるを得なかったのだ。かぼちゃめ。僕の華やかなスクール・ライフ構想を奪ったかぼちゃ。憎し。憎し憎し。憎し憎し憎失神。

 待て! 失神してはいけない。僕はこれからかぼちゃに復讐するのだ。気をしっかり持て。目を閉じろ。ペダルをこく足に力を込めるんだ。そして念じろ。僕は昨日までの僕じゃない。僕はかぼちゃなんて恐れない。僕は強い男だ。かぼちゃがなんだ。ただの野菜だ。怖いことなんてない。そうだ、僕がかぼちゃのことを考えて失神する理由なんてどこにもないんだ! そう悟りを開き、同時に両目を開いた刹那、僕は素晴らしい勢いで電柱にぶつかり失神した。

 大丈夫ですか、という声が聴こえる。頭のてっぺんが痛んだ。視界がぼやけている。相当強く頭を打ったんだな、と思う。手でさすってみると、どういうわけかコブが二つできていて、僕はとっさにフタコブラクダの人生を思った。常にコブが二つある人生って、いったいどんな気持ちなのだろう。思春期のフタコブラクダは、鏡を見て自分のコブの小ささに溜息をついたりするのだろうか。「よし子ちゃんのコブに比べて、アタシのって、小さい……アタシなんて……」と劣等感に苛まれたりするのだろうか。でもコブの形や大きさなんてどうでもいいんだ、と僕は思う。大事なのは愛だ。大きさじゃない。よし子ちゃんのことなんか忘れて俺と付き合


「大丈夫ですか?」


 女性の顔がいきなりアップで視界に映し出されたので僕は驚いてのけぞった。いつもならのけぞりついでに壁に後頭部を強打するところだが、いつまでも昔の僕ではない。同じ過ちは繰り返さないのが僕だ。壁の代わりに電柱へ後頭部をぶつけた僕は「マパ!」と悲鳴をあげた。


「落ち着いて! 頭を打ってるみたいだから。救急車、もうすぐ来ます」


 女性は本気で僕のことを心配してくれているようだった。ついさっきまで何かの作業をしていたのか、髪は後ろで縛られ、服の袖はまくってあり、手には何かが抱えてられている。きっと僕がコブを作る様子を見て、慌てて駆けつけてくれたのだろう。待てよ、救急車? なぜ僕は救急車で運ばれようとしているのだ? そもそも僕はなぜコブを二つも作っている? 思い出そうとするとコブが痛み、ゴビ砂漠のど真ん中でM字開脚をしながら発情しているフタコブラクダのよし子ちゃんの映像が僕の頭を支配した。よし子ちゃんのコブは実に魅力的だ。他のメスフタコブラクダが嫉妬に悩むのもわかる気がする。大きいだけじゃなく、美しいのだ。こんなに完璧なコブを僕は見たことがない。僕のコブは彼女のそれと比べて不細工だった。僕は嫉妬し、勃起した。

 だから違う、思い出せ、なぜ僕はフタコブを作るほどの勢いで自転車から転げ落ちたのだ? きょろきょろしながら救急車を待つ女性を見つめてみる。彼女は僕の視線に気づくと、にっこりと笑顔を浮かべた。その笑顔は美しかった。よし子ちゃんのコブと並ぶほど、いや、コブなんて霞んでしまうくらい輝いていた。それを見て自分が何をしようとしていて何でコブを作って何でよし子ちゃんに欲情していたのかなんてどうでもよくなってしまった。彼女がかぼちゃを抱えて微笑んでいてくれるだけで僕は安心できた。深緑色に熟したかぼちゃは彼女の暖かさを連想させ――かぼ、ちゃ? かぼちゃ? 脳が動き始める。かぼちゃを指差し、最高速度を刻むメトロノームのように震える僕の様子を見て、彼女は「あちゃっ」と舌を出し、おどけた。


「いっけない、かぼちゃの収穫してたからついつい持ってきちゃいましたよ。焦りすぎ。わたし、そこの農家の娘なんです。うちのかぼちゃ、美味しいんですよ――きゃっ!」


 奪った。かぼちゃを。素早く。そして思い出す。そうだ。僕はフタコブラクダに欲情するために自転車をこいだわけじゃない。かぼちゃに復讐をするのだ。かぼちゃ。かぼちゃを。破壊するのだ。かぼちゃに手で触れている現実が、すぐさま気を遠くさせる。耐える。コブが痛む。関係ない。フタコブラクダはいつもこの痛みに耐えているのだ。奪ったかぼちゃを放り投げる。高く。遠く。そして走る。かぼちゃが飛んでいった方向へ走る。全身の力を一瞬に懸けろ。落ちてくる。かぼちゃが落ちてくる。よし子。呟く。よし子。呟く。よし子! 叫び、跳ぶ。かぼちゃを、蹴る。

 折れた足首の応急処置を施されながら、そういえば、救急車に乗るのは初めてだ、と気づく。救急隊員が色々と訊いてくるが、まるで耳に入らない。僕はかぼちゃに負けたのだ。完膚なきまでに叩きのめされた。あの女性が、心配そうに車内を覗き込んでいる。僕が敗北したかぼちゃを抱きかかえながら覗き込んでいる。彼女は、「うちのかぼちゃ、美味しいんですよ」と言った。きっとそれは本当なのだろう。僕の足首をへし折るほど中身の詰まったかぼちゃだ。美味しいに違いない。怪我が治ったら、一度、かぼちゃを食べてみるのもいいかもしれない。そのときは、あなたのかぼちゃを――僕が言い終える前に扉は閉められ、けたたましいサイレンとともに救急車が動き出した。救急隊員が「食べ物を粗末にしちゃ駄目だよ」と言った。僕は苦笑した。


ホワイト・インカーネイション
「カラフル・パンプキン・フィールズ」 
from 『WHITE INCARNATION』、the pillows' 4th album.