ビューティフル・モーニング・ウィズ・ユー


 ヒトが眠りにつく瞬間ってのはいつなのかしら、ふと思った僕は、ベッドでうつぶせになり(寝るときの作法として当然下半身は露出してある)自分が眠りにつく瞬間を心待ちにしていたのだけど、いつの間にか3時間ものタイムが消費されていて「むう」と思った。このままもぞもぞしていたら夜が明けてしまう。ヒトは夜に眠らなければいけないのだから朝になったら眠ることができない。眠らないまま朝になったら目覚まし時計がアイデンティティの喪失を嘆いて「俺は、なんのために、今まで」と泣き叫んでしまうだろう。目覚まし時計の名誉のために、ヒトが眠りにつく瞬間を目撃するのは後日、ということにして、僕は眠らなければならなかった。


 午前3時。深夜だ。深い夜だ。どのくらい深いのかしら、ふと僕は思った。いくら夜が深いとはいっても、寝ているあいだに溺死するほど深かったら毎夜毎夜地球人口がゼロにリセットされてしまって色々と困った事態になる。おそらく首から上は出せるくらいの深さだろうな、と僕は推察した。当たらずも遠からじ、といったところだろう。筋道だてて考えれば、いくら知識が不足していようと、それなりに真実へ近づけるものだ。この間学校の帰り道で、とある家の塀からびよよんと飛び出している柿の木の枝を発見したときも、「どうやれば、柿の実を得ることができるだろう」と筋道だてて考えた結果、塀によじ昇って家の人には無断でとにかくぶん取る、という最善の方法にたどり着き、見事、実を手に入れることに成功した。真実と柿の実、「真」と「柿の」の違いこそあれ、「実」で因数分解できるのだから、同じようなものだろう。真実はいつも手の届くところにあるのだ。


 目を開ける。眠れない。どうしたことだ。少しのあいだうろたえて陰毛を七、八本むしりとってしまうが、僕はすぐに落ち着く。なぜ自分が眠れないのか、そんなことは筋道立てて考えればすぐにわかることだ。指と指のあいだに挟まった陰毛を、扇風機から送られてくる風の流れにそっと乗せる。陰毛まっすぐ僕の目へ眼球へ眼球の表面へ。痛い痛いこれはなんというかしなやかに痛い。しぱぱぱぱぱ、と高速で目を開け閉めした僕は、涙を乱雑にこぼしながら、そうか、と呟いた。扇風機だ。扇風機のおやすみタイマーをセットしていなかったから、眠れなかったのだ。おやすみタイマーをセットせずに眠ってしまったら、一晩中扇風機は回り続けてしまい、僕の下腹部は一晩中じっくり冷やされてしまい、ひとかどの下痢になってしまうだろう。危ないところだった。


 タイマーをセットする。これで不安はなくなった。すこやかに眠れるはずだ。目を閉じるまえに目覚まし時計を見る。午前4時57分。僕はとてもびっくりする。なんと深い。ごじゅうなな、声に出してみる。深い。深すぎる夜だ。当たり前のことではあるけれど、さっきよりも深度が増している。このままでは溺れてしまう。溺れたら死んでしまう。陰毛むしる。うろたえるな、落ち着け。溺れないように筋道を立てて考えろ。まず立ちあがれ。陰毛は風に流せ。毛が目に混入してこないために身体を反らせ。反らしたら倒れないように踏ん張れ。踏ん張りながら筋道を立てろ。踏ん張りきれず倒れろ。倒れろ? 倒れた。ゴ、と後頭部に硬いものが当たった。


 僕は僕の真上から眠りにつく瞬間の僕を眺めていた。カーテンの隙間が少しずつ白んでいく。僕が見ている僕の顔も少しずつ白くなっていく。カーテン、顔、シーツ、毛布、壁、だんだんと、そしてしっかりと白く。綺麗だ、と僕は筋道を立てて思う。僕が見ている僕は筋道を立てず遺憾な器官を立てている。目覚まし時計が鳴る。5時だ。深かった夜は朝になり、光が深さを吸いとっていく。起きなければ、と思う。手を伸ばす。僕は眠りについている僕の先端に触れる。そして、全てが、白く。


HAPPY BIVOUAC
「Beautiful morning with you」
from『HAPPY BIVOUAC』 、the pillows' 10th album.