ウィ・ハブ・ア・テーマソング


 夢とか希望とか輝く明日とか、考えただけで反射的にすかしっ屁をかまして反射的にセルフにぎりっ屁をやらかして反射的に気を失ってしまうほど嫌いな言葉であるが、僕はここのところ毎日、反射的に気を失っている。朝起きて、枕カバーにべっとりと付着したキプロス島の形のヨダレに朝日が反射しているのを見て失神し、昼は風がもみあげを揺らすたびに失神、夜は毎分失神する。意識のない時間のほうが多いのではないかと思ってしまうくらいだ。不思議である。僕は夢とか希望とかやまない雨はないとか、根拠のない前向きな言葉がとにかく嫌いなのだ。それなのに四六時中意識不明とは、嫌い嫌いも好きのうちとかそんな生易しい次元じゃない。友人に、夢うんぬんのことはうまく誤魔化しつつ、「今、ちょっと困ってるんだよね」と相談してみたら、彼はオロナミンCのCM撮影に励む俳優のように歯を輝かせ「大丈夫だよ、明日になればきっと治るさ」と言い、僕はというと、そのアドバイスを聞いた瞬間、リポビタンDのCM撮影でリテイクをくらった俳優のような顔面をして失神した。


 どうすればいいだろう。このままではいけない。道を歩いてるときに失神してみろ、シニアな方が運転する自転車にはねられてしまう。風呂に入っているときであったら溺死だ。自慰行為に励んでいたら不完全燃焼だ。風呂の中で自慰行為だったら不完全溺燃焼死だ。まずすぎる。僕は考える。「夢とか希望とかイージーカムイージーゴーとか考えないためにはどうすればいいだろう」と考える。考える。放屁。にぎって暗転。どうしようもない。解決法を模索することすら簡単にはいかないのだ。無我の境地に達するほかないのだろうか。一介の俗世人が一朝一夕に到達できるわけないとは思うが、そうしなければいつか僕は大事な場面で失神してしまう。


 禅。禅だ。座禅を組むのだ。雑念が入ってしまった場合に喝を入れてくれる坊主はいないが、喝代わりにセルフサービスで失神できるのだから、まあ良いだろう。ある意味お手軽な座禅である。目を閉じる。コオロギの鳴き声が聴こえてくる。それともスズムシだろうか。どちらでもいい。無数の虫による、楽譜のない合唱。僕は観客席で独り、その美しい調べに酔う。じつに秋的に、静かな夜だ。こうしていると、無我なんて結構簡単なことなんじゃないの、とか思えてしまう。坊主は山の中で修行をしているのだから、こんな住宅地よりも豪華な演奏会を毎日耳にすることができるのだろう。楽じゃないか。そんなことを言ったら坊主に怒られるかしら。いや、怒らないだろう。怒る坊主は坊主じゃない。坊主はいつだって柔和な笑みを浮かべ「信じればきっと救われます」とか言うべきなのだ。信じればきっと救われる。すかしっ放屁。握る。嗅ぐ。喝。


 座禅体勢のまま後ろへ倒れているのに気づいたのは数分後だった。駄目だった。無我の境地に至れなかった。無我れなかった。打つ手がない。僕はまだ、風呂に入ってないし自慰も済ませてないのだ。不完全溺燃焼死してしまう。スズムシやコオロギは、危機感に駆られる僕のことなんか知ったこっちゃないといったふうに、ただただ歌い続ける。気楽なものだ。彼らは夢とか希望とかさあ一歩踏み出そうよとか、そういう前向きタームを考えることなんてないのだろう。ただ歌っている。それだけでいい。むしろそれが彼らにとって生きることなのだ。歌、と僕は思う。歌か、と僕は呟く。歌えばいいんじゃないか、と僕は失神スレスレの前向きな声をあげる。


「あ、あ、あ」


 声を調整する。「あ~~」と声を裏返して伸ばしてみる。「ドゥビドゥワ~~」と黒人女性コーラスグループの真似をしてみる。調子がいい。こんな僕を後押ししてくれるのか、スズムシやコオロギたちの透き通るメロディーに重なって、酔っ払いの歌声も聴こえてきた。とんでもないだみ声で、歌の内容も姉ちゃんイッパツどうグヘヘみたいに下品極まりないものだったけれど、今の僕には最高の応援歌のように思えた。そうか、家路の途中で失神して寝ゲロして寝ゲロに溺れて死んでしまう酔っ払いが少ないのは、彼らが歌を口ずさんでいるからなのだ。歌。ミュージック。僕は確信する。もう迷わない。


 脱ぐ。シャツを脱ぐ。ズボンを脱ぐ。パンツを脱ぐ。靴下を脱ぐ。乳毛を少しだけ弄ぶ。勇んでバスルームに向かう。シャワーの前に立つ。息子も立つ。不完全溺燃焼死の不安が少しだけ頭の隅っこをかすめる。換気扇の通風口から、控えめに届いてくる酔っ払いとスズムシとコオロギの三重唱。大丈夫さ。大丈夫。君らの助けがなくても、僕は一人でシャワーを浴びながら自慰してみせる。息を吸い込む。吸い込んでから、何の歌を唄うのか、決めていなかったことに気づく。何でもいいのだ、と思う。今の自分から、自然に湧き出てくる思いを歌にすればいい。息を吐く。蛇口をひねる。息子を握る。さあ、行け。夢や希望を忘れ去るために、唄え!


夢とか希望とか輝く明日なんていうけど

そんなの、俺には全然関係ないぜ!


関係ないんだぜ、薄れゆく意識の海を力なく漂いながら、それでも僕は唄いつづけた。


Another morning Another pillows
「We have a theme song」
from 『Another Morning,Another pillows』
the pillows' B-side best album.