スモーク・オン・ザ・ババア

色々あって、そりゃまあ色々あって家路についたのですが、自宅の玄関の前まで来て、ふと煙草をきらしていたことを思い出し、買っておかないとのちのち発狂しますので、すぐそばにある煙草屋に赴いたのです。それはまだ朝の六時のこと、例の婆様もまだ起きてはいまい、あの婆様といったら何かと僕に絡んできて、いやまあ誰にでもフレンドリーなだけかもしれませんけど、人と触れ合うことに慣れてない僕にとって、顔面葉脈状態の皺くちゃ女性が接近してくるというのはなかなかの恐怖体験でありまして、おそらく鬼形くんも恐れおののくほどの超常現象でありまして、この前なんかも自動販売機で煙草買っただけなのに、いきなり店内からバァーと出現し「お兄さん、今その煙草を買った人にはライターがついてくるよ」などと迫ってきたりして、僕は瞬時に逃げ出し、しかし回り込まれ、上昇する心拍数を必死に押さえつけながら、「いえ、あの、僕はジッポを使ってますんで、ライターは『持っといて損はねーって』はい」。結局ライターを押し付けられたのですが、ライターを僕に渡すときに、きちんと点火できるかどうか確認しているときの婆様の顔が炎に怪しげに照らされ、それはなかなかつのだじろう的でして、その記憶がまだ脳裏に残っているために、どうも尻込みしてしまうのです。
とにかくまだ朝の六時、さすがの婆様も家の中で休んで「いらっしゃい、お兄さん」いませんでした。ニタァーと笑う婆様。『すごいよ!マサルさん』におけるフーミンのような顔で微笑み返す僕。まあ自動販売機で煙草を買うだけですから、婆様と直接接触するわけではありません。恐れることはない。颯爽と新千円札を自販機に投入し、颯爽と飛び出してくる新千円札。あら。もう一度。飛びだすヒデヨ・ノグチ。あらあら。「あらあら」。真横に婆様。「ふぃっ!」と声をあげる僕。「新千円札は使えないみたいだねぇ、両替しましょうか、ね、両替しましょう、それがいい」あの、「面倒でしょうがないよまったく」いや面倒でしたら別に、「あたしゃ昔の札のほうが好きだね、あれなんて人?」あ、夏目漱石という文豪でして、「かっこいいわあ、キリっとしてるもの。新しい札はあかん」そ、そうですか、「そうよ、昨日あの札で指切っちゃってさあ、もう嫌い」ヒデヨ・ノグチが悪さしたんですね、「あ痛! また指切った! 新千円札はスラリとしすぎなんだーね」だ、大丈夫ですか、「あーだいじょーぶだいじょーぶ、ちょっと指先から血が出てるだけだから」そうですか、よかっ「お兄さんは優しいねえ、あたしの指舐めるかい?」

煙草(たばこ)は、本来、日本になかつた植物である。では、何時(いつ)頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度(はつと)銭法度(ぜにはつと)、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首(らくしゆ)が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――
 そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙ポルトガル)人とか、西班牙(スペイン)人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連(ばてれん)か(恐らくは、フランシス上人(しやうにん))がはるばる日本へつれて来たのださうである。*1

*1:芥川龍之介『煙草と悪魔』より抜粋