プラネテス

地上波での再放送も終わってしばらく経ちますが、一番肝心な回を見逃して「麻子ぉ、おれ、プラネテス見逃しちゃったんだ。うえええええええええええん」と男泣きにくれていた僕も、DVDの最終巻をようやく手に入れまして、最後まで、鑑賞することができました。素晴らしい作品でした、『プラネテス』。例によって色々と書きなぐらせていただきます。まだこの作品を見たことのない人は読まないほうがいいです。まずは見てほしい。それだけです。レンタルでもなんでもいいからとにかく見てほしい。僕は齢23にして、軽く人生観を変えられました。自分はまだまだ不完全な人間であると自覚はしておりましたけれど、まさか、ねえ。劇的に変わったわけではありません。ただ、なんというか、まだ23歳なんだよなあ、ということを、改めて発見したというか。まだ全然生きてないよ、俺。

Phase24 「愛」

この回に関しては、最終話まで観た今でもうまく言葉にすることができません。「そんなら無理して言葉をひねり出すことはないだろ、『良かった』でいいじゃん」とも思うのですが、まがりなりにも文字で飯を食おうと考えている以上、そんなんじゃイカンのです。この感情を文字という形にすることで、「自覚してない自己」というんですか、それが見えてくるような気がするのです。――あー、でも駄目だ。完全に包まれちゃってる。僕も、僕の言語中枢も、全部、靄がかかってしまったように、掴めなくなっちゃっています。未熟だなあ。具体的な見所を指摘することは当然できるんですけど、今回に限って、それは全く意味を為さないような気がするんです。「愛」。でかすぎる。そして同時に脆い。

Phase25 「惑い人」

鑑賞中はもう完全に飲まれていて、「こう来るのか」「おおう」「ふわあ」と後半は感嘆詞しか口に出来ないような状態だったのですが、少し時間が経ったので、ある程度冷静になれました。前回はサブタイトルからして「愛」で、まるで糸の切れたお手玉から小豆がざざあと流れ出てくるようにタナベの口からも「愛」という言葉がこぼれ落ちていて、「ちょいと言いすぎかな、でも勢いと迫力があるから良し」となんとなく納得してました。まさかそれが伏線というか、二話にまたがっての演出だったとは。恐れ入った。というのも、この「惑い人」では、「愛」という言葉が使われないのです(はっきりとは覚えてないのですけど、たぶん一回も)。ハチマキが「愛」の存在(情としての愛、かつ田名部愛という人間)に気づき、つまり、まさにこの回こそ「愛」がキーワードなのですが、それを使わない。物凄い潔さ。そして最高。脚本家呼んでこい。崇め奉ってあげます。巧すぎる。「愛してる」という言葉を軽々しく使うトレンディードラマは本当にプラネテスを見習ったほうがいい。真剣に。
「暴露」という回の感想で書いたように(id:mikadiri:20041230#1104367774)、僕が『プラネテス』を語るうえで必ず口にする概念――というかテーマに「繋がり」があるのですけど、この回ではそれが明確に示されました。ハチマキが関わった人間たちが手を繋ぎ、だんだんと広がっていき、そして宇宙へと。ここまではっきりと描写するとは思っていなかったんですけど、ハチマキが「繋がり」の存在を自覚するときがこの物語のクライマックスだと前々から考えてたんで、というか原作を読んだ人はみんなそこに行き当たるはずなんで、つまりこれくらい大げさにやったほうがいい――むしろやるべきだった、と思います。いいシーンでした。絵コンテ書いた奴呼んでこい。靴を舐めさせていただきます。

Last Phase 「そして巡りあう日々」

そして最終話。正直、物語としてのクライマックスは前回に迎えちゃってますんで、「まとめ」な感が否めないのですけど、それでも、「結婚しよう」「うん」「お前の負け」のやりとりは燃えました。いいなあ。プラネテス、僕が今まで見たアニメ作品の中ではダントツの最高傑作です。アニメのみならず、映画を含めた映像作品をひっくるめても三本の指には必ず入る。出会えてよかった。それだけです。