僕とピロウズと晴れていく霧

はじめに断っておきますが、以下の文章はピロウズをこよなく愛する人、もしくはピロウズポタラを使用してしまった人以外には、たとえ最後まで読んでいただけたとしても、なんら得るものはございません。それでも「暇だから読むよ」という方は、よろしければどうぞ。


ザ・ピロウズというバンドの最新アルバム発売に伴う全国ツアー最終日、渋谷アックス公演がとうとう明日に迫ってまいりました。僕はうずうずしています。むずむずともしています。そわそわしてるとも言えるかもしれない。とにかく楽しみなのです。ここ最近、ピロウズをあまり聴くことがなく、他のバンドに浮気ばかりしていたのですけど、それは「飽きた」「つまんない」といった負の感情がはたらいたものではなく、ごくごく自然なことで、僕はピロウズのために生きてるわけじゃないし、世の中には素晴らしい音楽がたくさんある。目移りして当然です。でも結局、まるで春という季節が挨拶することもなく始まっているように、いつの間にか、なんとなくコンポにピロウズのCDをセットしてて、「うむうむ」と頬を緩ませている。別に「ピロウズ」と「春」に因果関係があると言ってるわけじゃなくて、なんというか、続いていくんですよね。「螺旋」じゃないですけど、巡り巡っていくものなんです。
何を夢見がちなことを書いてるのだろう。まあ僕はものすごく自覚的にピロウズヲタですから、こういうことをとても恥ずかしがりながらも胸を張って書いちゃうんですけど。そして引かれる。駄目じゃないか、と後悔する。後悔しつつも後悔しない。そういう愛しさと切なさと心強さとが同居した、複雑でありかつ単純なアホ、っていうのが僕が僕自身を見て定義する「ピロウズファン」です。ま、ピロウズってのは多くの人と共有して盛り上がる音楽では決してないと思うので、「ファン」のあり方ってのはそれこそ一人一人違うと思います。とにかく僕は「人間は小さいですが、それが何か?」と猫背で威張るタイプのピロウズファンであるわけですね。


916“15th Anniversary Special Live DVD”

「わけですね」って何を言ってるのか。僕が通常の三倍の勢いでロマンチストぶってるのにはワケがありまして、1月に発売されたピロウズの結成15周年記念ライブDVD『916』に収録されている「Please Mr.Lostman」を見て、改めて音楽の力を思い知ったからなのですよ。この曲は単体でも文句なしの名曲ですが、この日の演奏は、あくまで僕個人にとってですが、「神」が宿っていたとしか思えないほどの輝きを放ってました。この神様は困ったもので、ふいと現れては僕に失禁を強いるというサディスティック・バイオレンシーな方です。僕は『916』の現場にいましたが、あの時、確かに、僕は(精神的に)失禁していました。全てはイントロのせい。『916』特別仕様のイントロは静かに、しかし力強く始まり、次第に高揚していって、「Please Mr.Lostman」本来のイントロへ繋がる。「音楽を聴いて景色の色が変わった」とはよく誇張気味に囁かれる常套句ですけれど、この「本来のイントロが鳴り響いた瞬間」は、間違いなく音楽が聴覚以外の五感、たとえば視覚や触覚などにも訴えかけてきた奇跡的な時間だと言えます。「間違いなく」は言いすぎ、と異を唱えたい方もいらっしゃるでしょうが、前述のとおり、ピロウズは「誰かと共有」するものではなく「個人的に向き合う」タイプの音楽だと思っていますので、僕にとっては間違いなく「間違いなく」なのです。日本語が崩壊していますがそうなのです。なぜ、単に「C」のコードが少しのブレイクを置いて「F」に移動しただけで、僕はだらしなく失禁してしまうのか。これは永遠の謎ですね。説明できるはずがない。ただ僕はわざわざMDにDVDの音源を録音し、繰り返し繰り返し「C」から「F」へのコードチェンジを聴き、繰り返し繰り返し心の中のパンツを汚すのです。