SUNNY DAY SERVICE

脱糞はじつに気分のよい行為だ。僕は先ほど厠へ赴き「はふぅんヌ」と悩ましげな声を絞り出しつつ脱糞したのであるが、思わず東村山音頭を踊ってしまいそうなほど爽快な脱糞であった。しかし人間の感情とは難しいもので、僕がこうして「だっぷんだぁ」と笑顔で書き記すことで、おそらく、大方の読者様は、「きたねえなあ」と顔をしかめるに違いないのである。僕は脱糞行為が持つ底なしの気持ちよさを皆様と共有したいがために、ウェブ上の日記というツールを利用して脱糞報告したのであるが、これでは共有どころか顰蹙である。心理学でいうところの「適応行動」をしているつもりなのに、皆様の視神経が「脱糞」という文字を認識することで、それは即座に「不適応行動」へシフトする。僕は言葉の力に改めて驚愕する。例えば、である。「脱糞」を「花に水をやる」と置き換えてみよ。あら不思議、ふしぎ遊戯、冒頭の文章が一変する。汚らしさなど瞬く間に一掃され、文章からイケメンの香りがぷんぷん漂ってくる。嘘だと思うなら試してみようではないか。

花に水をやるのはじつに気分のよい行為だ。僕は先ほど厠へ赴き「はふぅんヌ」と悩ましげな声を絞り出しつつ花に水をやったのであるが、思わず東村山音頭を踊ってしまいそうなほど爽快な水やりであった。

これ以上ないくらい木村拓哉的モーニングである。ジャニーズである。センチメンタルジャニーズである。伊代はまだ16である。不思議としか言いようがない。言霊は確かに存在するのだ。これは別に「花に水をやる」に限定されるわけではなく、皆様が思う「春の朝にふさわしいイケメン行為」を当てはめれば、いくらでも応用できる。脱糞だけが、「不適応」なのだ。しかし誤解しないでいただきたい。僕は結果的に「不適応行動」に出てしまったわけであるが、決して皆様を不快にさせようと文章を書いたわけではないのである。本当に、脱糞が気持ちよかったのである。爽やかだったのである。虹が見えたのである。虹に乗れそうなほど夢心地な時間だったのである。ロマンスの神様が僕の尻の穴をすぅっと撫でてくれていたのである。信じてほしい。でも、だが、しかし、とはいえ、僕のサイトを開いたことで、皆様が朝食のカレーを吐き出してしまったというならば、謝るほかない。ごめんなさい。お詫びというわけではないが、再度、冒頭の文章をジャニーズ的に改造し、せめて最後くらいは気分よく、僕のサイトを後にしてほしい。

朝の体操はじつに気分のよい行為だ。僕は先ほど厠へ赴き「はふぅんヌ」と悩ましげな声を絞り出しつつ朝の体操に興じたのであるが、思わず東村山音頭を踊ってしまいそうなほど爽快な体操であった。


グッド・モーニング。