What a wonderful world

DVDプレイヤーを買って『プラネテス』を好きな時に見れるようになってから、第21次プラネテスブームが僕の中で勃発していて、まあ21とかそういう数字は適当なので流してほしいのですけど、むしろ大きく捉えれば今後の人生がずぅーっとプラネテスブームなので第2次も第3次もないのですけど、とにかくブームなのですよ。島唄が風に乗って鳥とともに海無し県埼玉まで来ちゃったってくらいブーム。もう「ザ」がつく。「ザ・ブーム」。DVDの本編を見まくるのは当然として、特典映像も繰り返し見たり、公式サイトで配信されているネットラジオ「ネットでプラネテス」まで聴いて製作現場の裏側を知ってニヤニヤしたり、もちろんはじめに原作ありきの『プラネテス』ですから、幸村誠先生による漫画も読んでグッときたりもする。アニメの第10話「屑星の空」とか、11話「バウンダリー・ライン」とか、未だに涙腺が緩みます。見るたびに。エブリタイムアイウォッチ泣く。これはもう病気ではないのかと自分でも思います。アニメに限らず音楽でも小説でも映画でも、何か特定の作品の信者になることは避けたいのですが、避けられません。テレビアニメのDVDを全巻買い揃えちゃったって時点でヤバイ。なんでそこまで入れ込んじゃってるんだろう。
そういうわけで僕は自他共に認めるプラネテス信者(特にアニメ版)ですけれど、「おお、これはすげー、俺にはできん、かなわねー」と感服せざるをえない完璧なシーンがあれば、「これはもうちょっと巧くできなかったのかね」と思ってしまう勿体ないシーンもあります。演出には特に文句のつけどころがないのですが、主にセリフとか、しかも細かいところで、です。他人が作ってるものなんだから100%自分の好みに合うわけがありません。そういうところを発見するたびに「関わりてぇー」と思います。「俺にやらせてくれー」と思う。プラネテスに関してはもう手遅れなんですけどね。それでも思う。DVD最終巻に収録されてる話を見ると、口出ししたくてムズムズする。インターネットに限らず、何らかの創作活動を行ってる人ならこの気持ちをわかってくださるでしょうか。「俺ならもっとうまくできるのに」という根拠のない自惚れを抱いちゃうとき、ありませんか? 個人的には、そういう傲慢さがなかったら表現者として終わりだと思う。アニメでも音楽でも映画でも小説でも、一つも文句のつけられないモノに出会ってしまったら、もう自分が創作する必要がないじゃありませんか。“ある”んだから。“ない”からこそ自分で何とか作ってやろうと思うわけでしょ。これは僕の個人的な創作に対する姿勢ですけれど。たまに「つけいる隙の無い」何かに出くわしてしまうと、感動する一方で、とてもヘコむんですよ。「うわー俺がチマチマ日本語書き連ねる必要がねー」とか思って。『プラネテス』を見たり読んだりしたとき、ラーメンズのコントを観たとき、そういう鬱状態に入ったりしました。でも、ヘコんでばかりいるわけにはいきません。両方ともDVD買って、舐めるように見まくって、それこそセリフの一字一句を暗記するほど見て、「映像的なアプローチでは勝ち目はないけど、日本語的な部分ならば考える余地が残されている」と生意気にも考えて、その結果、いまだにチマチマと変な小説を書き溜めています。いつか遭遇するであろう「自分が考えうる最高の創作表現」が、僕が書いた小説だったりしたら、それはとっても素晴らしいことでしょうね。