最後のダンスナンバーを踊ろうぜ

オカネのない無職が苦しむ代表的な病気、「無性に散財してみたい、ていうかする、断固する、するのであります病」にかかってしまって、散財しました。大は小を兼ねない、という言葉がありますが、無職の場合、大も小も金ない、つまりイチマンエン札もヒャクエン玉も財布の中にありゃしねえわけでして、そんな中散財するのですから、当然色々と厳しいわけですね。でも錬金術の研究が進んだ現代社会では、「銀行」なる場所にいって「ATM」なる機械の前にたち、ディスプレイの文字を指で押すだけで、群れをなして福沢諭吉が出てくる。大も小も金ない財布が、あっというまに大は小を兼ねる財布になっている。不思議なものです。錬金術とはじつに不思議。「ATM」とは「あっというまにお金が出てくる機械」(ATtoiuManiokanegadetekurukikai)の略だそうで、いやはや、この機械を発明した人にはノーベル的な賞を贈るべきだと思いますよ。ノーベルあっというま賞。副賞はノーベルのど飴。のどに優しい賞です。
まあ散財とは言ってもですね、所詮は無職の豪遊、本やシーデーやユニクロやアマゾンドットジェイピーなどの小規模なものです。社会人さまが御ボーナスを使用してなされるような散財には及びもつきません。社会人さまは御ボーナスが入り次第「ギャルのパンチーおくれ」的大層な願いをやすやすと、そして次々と、御ボーナスでもって叶えていくのでありましょう。僕などが「ギャルのパンチーおくれ」なんて分不相応な望みを声高に叫んでもですね、返ってくるのはギャルのパンチーどころかギャル男のパンチってんで、いやはや、まことこの世はヒエラルキーでありますことよ。散財した僕の懐もヒエラルキーでありますことよ。あ、これはですね、懐が「冷える」ってのと、「ヒエラルキー」の、「冷え」と「ヒエ」が共通していてイトオカシくね? っていう主旨の日本語的遊戯です。