推敲しないで思いつくまま書いてみる

一昨日、3月7日に下北沢SHELTERで行われたmy way my loveのツアー初日ライブを見たのだけれど、これがまた良くて、良くて、この前のライブとはまた別の意味で良くて、「ハァーッハッハッロックイズアライブ!」と僕は高笑思った。だって痛快だ。ギターを歪ませることを敬遠するバンドが多い世の中で、ここまでバカ正直にアンプのゲインをあげ、ビッグマフを踏む野郎がいる。僕はマイウェイの村田氏のアンプや足元の機材のことを知らないので、ゲインツマミがあるのかビッグマフがボードに鎮座しているのか知らんけれど、まあ雰囲気で掴んでほしい(アンプといえば、ジャズコーラスの縦置きをやめてしまったようでちょっと寂しい)。ほんと一昨日のライブは、今さらながらmy way my loveの――というか村田氏の――ギターサウンドの美しさを再確認した一夜であった。客観的に聴けば、あれは「ファズ」なんだろうけど、それでも僕は胸一杯の主観を込めて、あの音を「ディストーション」と呼びたい。ファズには「太さ」のイメージがあるが、村田氏のギターからはある種の「細さ」を感じる。それが「ディストーション」という言葉の語感と僕の中で一致するのだ。パワーコードを押さえた状態で高速ダウンピッキングしたときの音は、恐ろしく切れ味の良い彫刻刀で木目に沿って掘り進めていくイメージを想起させる。ズォゾゾゾゾ、といった感じか(感じか、と言われても)。ザ行の音か(意味不明でごめんなさい)。普通にコードを押さえたときの歪みは、もちろん音それのみは「太い」に違いないのだけれど、僕には無数の極細音が集合して音同士が反射し合ってドデカイものを作り出しているように思えるのだ。ぎゅぅっと目を閉じると、真っ暗闇にだんだん虹色のウネウネしたものが拡がったり縮んだりウネったり弾けたりする様子が見えてくるが(僕だけなのかもしれないけど)、その映像が音になったようなのです。いきなり丁寧語ですが、です。虹色というか日光がオイルに差し込んだときに光る色彩というか、まあとにかく虹色で、「The Rainbow Song」というマイウェイの曲はまさにそのまんま僕の「マイウェイイメージ」を表現していて、唸るほかないのである。音が「単体」でなく「個々の集合体」に聴こえるのは何故だろう。やはり「ザ行」になる前のクリーン・トーンによるギターが効果的なんだろうか。静と動のギャップ、という書き方は陳腐すぎるかな。一昨日のライブで「The Rainbow Song」を演奏するとき、始めはクリーン・トーンによるコードストロークからなのだけれど、ちょっと弾いてから村田氏は一度演奏を止めた。「この音じゃない」「もっといい音でやろう」と。音へのこだわりって言ってしまったら安っぽい。しかし「虹」を表現するのには必要だったのだろう。マイウェイがただのノイズ・バンドとは違うところだ。貪欲に理性的に野性な音を求める。「ただのノイズ・バンド」なんて書いているけどノイズ・バンドなんて聴いたことありません。ほんとトリトメなくてごめんなさい。
ちょっと読み返してみたら、マイウェイのギターサウンドについて書くつもりが途中から「The Rainbow Song」についての雑感になってしまってますね。でも推敲しないと決めたのでこのままダダ漏れにしておきます。そもそも彼らの音について考えることは無意味だと思うので、ただ感じればいいのです。「ただ感じればいい」、ロックではよく使われる言葉だと思いますが、それが当てはまるバンドって意外と少ないのではないかなと今少し思いました。
そういえば、先日のライブ感想で(http://d.hatena.ne.jp/mikadiri/20070225#1172370008)僕はマイウェイのライブを「世界一音量のでかいオナニー」「観客もバンドも皆自分の世界でオナニーしているよう」みたいに書きましたが、この日は少しばかり様子が違いました。ヒトが多かったのが原因でしょうか(去年のワンマンよりいたんじゃなかろうか)。オナニーしているには変わりなかったと思いますが、バンドと観客が共通の「オカズ」でイっていたような。ある意味普通のライブ風景だったかもしれません。ファンが増えていけばこういうライブが多くなるのでしょうけど、少し寂しい気もします。ヒトが少ないライブハウスでのカオスがたまらなく好きな僕は異端児なのかしら。