僕の感覚では海の日は今日らへん

海の日を海無し県の地でしか迎えたことのない僕は、「夏休みだ!」と聞かされてもイマイチピンとこない。ようく考えてみれば海に行って実際に泳いだのは十年以上前のことである。十年! あの日見た海岸は、今は海底に沈んでいるかもしれない。あの日砂浜で無くしたビーチ・サンダルが何層目かの地層から発掘されるかもしれない。それほどの年月である。それほどの年月、僕は海の水にこの身を浸すことなく生きてきたのだ。日本で一、二を争うほど磯臭くない身体である、と自称しても過言ではないのではないか。日本で一、二を争うほどフジツボが好まない人間である、と言い換えることもできる。僕はフジツボが嫌いなので、非常に都合が良い。嫌いな輩に好かれるなんてのは、本当に最悪である。フジツボに「先輩! ラブレター読んでください」なんて言われて追いかけられても少しも嬉しくない。家に帰ってベッドに入ったらフジツボだらけ、頬を染めたフジツボ子曰く「来ちゃった」。「コ、キ、ク、クル、クレ、コ!」とカ行変格活用的絶叫で逃げ惑う僕。想像しただけで鳥肌がたってしまう。しかし海無し県に住んでいる以上、そんな心配はする必要がないのだ。ああ海無し県。フジツボ無し県。これからも埼玉県民であろう、あり続けよう。思いを新たにした七月の終わり、蚊が元気なこの頃であった。蚊はラブレター云々の前にまず身体を求めてくるので困る。あと知らない間にフタマタどころかゴマタくらいしちゃうのでやっぱり困る。蚊と海がない県に永住しようと速攻で思いを新たにした七月の終わり、羽虫が元気な今日この頃であった。