聖夜と青年

実家を出て一人暮らしを始めてから、どういうわけか僕のもとにサンタクロースが来なくなった。それまではイブの夜に寝るだけで、翌朝きちんと僕の欲しいものが枕元に置かれていたというのに、働き始めて自立の道をゆっくりながらも歩きはじめた途端、クリスマス・イブの夜はただの12月24日に、クリスマス本番は何の変哲もない12月25日になってしまった。はじめはサンタクロースのミスだと思った。世界中の人間にプレゼントを配るのだから、一人や二人忘れてしまっても仕方がない。しかしそれが続いてしまうと、偶然では片付けられなくなる。サンタクロースは僕を忘れてしまったのか。引越しするときにきちんと住所変更したのに書類が届かなかったのか。役所に行って確認もした。「サンタさんに僕の住所は伝わっていますか」。対応した職員は何も言わずにこやかに笑った。伝わっているのだろう。我々の仕事に不備はない、という顔だった。友人には相談出来なかった。サンタクロースが来ないんだ、なんて、恥ずかしくてとても言えない。第2次性徴期に身体の変化に悩む女の子の気持ちがわかったような気がした。

僕ひとりでなんとかするほかない。そう決意し、今年は夏から準備を重ねてきた。窓にカラースプレーで「僕 is Here」と書き、視認性を向上した。これで僕の家をサンタが見逃すことはない。日頃から靴下を枕元に置いた。一足では不安なので色とりどりの靴下を量販店で大量購入してベッドにばらまいた。クリスマスツリーも一ヶ月前倒しで飾り付け、そこにも靴下をばらまいた。12月に入ってからは窓に七面鳥の絵も追加した。七面鳥がどんな姿なのかよくわからなかったので、字面にしたがって七つの顔面を持つ鳥を描いた。大家さんに胸ぐらをつかまれた。それでも僕はきたるべき日のために準備を怠らなかった。

そして迎えた今日、イブ当日である。やるべきことは全てやった。「サンタが街にやってくる」のエンドレス再生もセット済みだ。フルボリュームで歌を流しておけば、老齢のサンタクロースといえど聞き漏らすまい。あとはベッドに入って眠るだけ。それでも不安が残っていた。心につかえがある。きっこえって、くっるでっしょ、すずのっねっがっすぐそこにっ。聞こえてこない。心臓の鼓動が早くなる。今年もやっぱり駄目なんじゃないか? サンタクロースはプレゼントを届けてくれないんじゃないか? トナカイの餌もばらまいておくべきだったんじゃないか? 今からトナカイ屋に行っても間に合わない。ネガティブな思考ばかりが浮かび、僕の頭の中をぐるぐると回る。気づけば僕は両手を組み、目を閉じていた。「お願いです」、心の中でつぶやく。「サンタさん、僕のもとへやってきてください」――自然と僕は、床にひざまずいて――はっ、と気づく。

ひざまずく? ひざまづく? ず? づ?

さぁあなたっからっ、メリクリスマス、わったしっかっらっメリクリスマス。メロディーは楽しげに続く。両手は既に胸の前で組まれている。目も閉じた。あとは膝を床につければ、滞りなく祈りの体勢を形作れるはずなのだ。祈り。すがるもののない僕に残された最後の手段だ。しかし「ず」と「づ」のわずかな違いが僕をためらわせる。ひざま「ず」いてお祈りして、もし願いが届かなかったら。ぶるりと身体がふるえる。こういった神聖な儀式に、一文字の差異は大きく影響するはずだ。翌朝、サンタクロース来訪の痕跡がない部屋を見て「ああ、『づ』だった!」と後悔しても遅い。その逆も然り。「ず」か「づ」、どちらか正しい方を選択しなければならぬ。膝を「つく」のだから、「まづく」ではないか? だとしたら「ま」は何だ? 魔? 聖夜には相応しくない文字だ。じゃあ「まずく」? 膝の美味しさが祈りにどう関係しているのだ。答えが出ない。どうすればいい? 教えてくれる人はどこにもいない。大量の靴下だけが僕を無言で見つめている。「ず」と「づ」がまぶたの裏に浮かび上がっては消えていく。ずづずづ、と僕は底なし沼にはまっていく。

ピンポーン、とチャイムが鳴る。目を開く。光が眼球を包み込む。ああ、サンタ! 床に散らばっている靴下を一足拾い上げて僕は玄関に走りだす。ああ、サンタクロースイズカミントゥータウン! ずとづはもう消えている。ようやく僕のもとにサンタがやってきたのだ! 「ウェルカムトゥー僕!」ドアを勢い良く開ける。額に青筋を立てた大家さんが夜中にうるせえんだよこの野郎的な言葉とともに僕を勢い良く張り倒す。夜空の星と星とのあいだに一筋の雲が浮かんでいる。それはまるで彼が乗るそりの軌跡のように、僕には見える。