アップルパイのなる木


 アップルパイのなる木を植えたら彼女は喜ぶにちがいない。


 二十五歳になった僕はそろそろ女の子にもててもよい頃合である。人生には三度の「もてる時期」があるというが、僕の寿命を八十歳と仮定して、三分の一近く経過しているのだから間違いない。明日にももてるかもしれないのだ。そう考えると、何者かが乳首と乳首の中間あたりをきゅっと締めつける。それは川のようにうねり、僕を急かす。しかしそこは僕、我ながら賢明である。焦ったりはせず、冷静にもてる準備を始める。女の子はアップルパイが好きだと聞く。アップルパイさえあれば機嫌がすこぶる良好であるらしい。ならばもてる前に、アップルパイを絶え間なく供給できる環境を整えておかねばなるまい。千里の道も一歩からである。僕はさっそくアップルパイのなる木の苗を探すことにした。


 部屋を出ると、外はダイナミックに寒い。僕の着ている服それ自体が冬型の気圧配置に感化されてしまって身体を容赦なく冷やしてくる。「サミー」と僕は呟いた。いったん戻ってコートをクローゼットから引っ張り出すべきか。否、否否、不口、僕はこれからもてるのだ。もてる男は熱いのだ。だから厚着などしない。「アチー」と僕は言った。「アーチーチーアチー」と唄った。「モエテルンダロウカ~~」とコブシをきかせた。そしてコタツにもぐった。


 かじかんだ指先があたたまり、さらにあたたまろうとして宅配のピザを頼むため携帯電話を手にしたあたりで、あれ、これはもしかして俺駄目なんじゃねえのかという思いが浮上した。アップルパイのなる木を得ようとして家を出たのではなかったか。なぜ僕は孫の手の先端部のように背を丸めながらテリヤキチキンピザを頼もうとしているのか。「毎度お電話ありがとうございます、ピザ屋でございます」そしてなぜ僕は考え事をしつつも流暢に注文しているのか。「テリヤキチキンピザのMサイズが一枚とコーラとポテトでよろしいですか?」そしてなぜ僕はよろしいですなどという怪しいジャパネスク語を駆使しているのか。


「ただいま新製品のアップルパイがお安くなっておりますが、ご一緒にいかがですか」


 不意に乳首と乳首の中間あたりで得体の知れない電流がアムール川のような軌跡を描きはじめた。僕は息を吐いた。テーブルの上にたたずんでいた、ヴォルガ川によく似た形の陰毛がふわりと浮かんで床に落ちた。川? どうして川なんか連想するんだ?


「アップルパイは好きですか」と僕は受付の女性にたずねた。


「えっ?」と彼女は言った。


「アップルパイは好きですか」

「あは、好きですよ。よく食べます」


 見えないはずの笑顔が見える。両乳首のミドルに生まれた何かはくねくねと身をよじらせながら信濃川になったりエルベ川になったりリンポポ川になったりしながらはっきりした形を得ようとしている。確かにそこには熱いエネルギーが流れている。そして海に注ごうとしている。僕はそれを感じ取ることができる。同時に彼女の声が耳に触れる音を聞く。


「アップルパイのなる木なんかがあったら素敵なんですけどね」


 恋が注ぎ込まれる。僕の中の海へと恋が注ぎ込まれ、広がっていき、いつしか愛が生まれる。僕はもてたのだ。アップルパイのなる木に目をつけた僕は間違いじゃなかった。甘い甘いアップルパイの実が僕と君を結びつけた。焼きたてのパイの香りに頬をゆるませよう。アップルパイはいくらだってある。君への愛も尽きることはない。いつだって焼きたての愛を君に注ぎ続ける。だから僕は君のためにアップルパイのなる木を植えるんだ。