Sing a song, please.

眠れない夜は音楽である。僕は10年前に買ったCDコンポを未だに使っている。3枚CDチェンジャーがついた、ケンウッドの安い製品だ。彼はとても頑張っている。決して大切に扱ったりはしてないのによく壊れないなあと他人事のように思う。でも最早他人ではないのだ。CD、MDはもちろん、レコード、ビデオ、テレビ、宅録ミックス時のモニター、全部これ一台でまかなっている。我が家の音=彼。彼が死んだらスネ夫を殺して僕も死ぬ。そのくらい僕らの結びつきは強い。

今日もCDを買った。チープ・トリックのアルバムだ。「お前もよく頑張るなあ」と思いながらCDをトレイにのせ、再生ボタンを押した。彼はしばらく身を震わせてから、「NO DISC」と言った。ちょ。おま。うは。おk。ではない。

3回ほど再チャレンジし、ようやく彼は「愛の罠」を流し始めた。原題は「I want you to want me」。びっくりさせないでくれよ、と僕は呟き、煙草に火をつけた。すると彼は何の予兆もなく「愛の罠」の再生を終わらせ、2曲目の冒頭を短い間隔でリピートさせ始めた。アオアオアオアオアオと泡を吹く彼。健・ウッド(名前)、どうしてしまったんだ。それじゃオキシライド電池を入れられてパワーが過剰になった松田聖子じゃないか。その珊瑚礁は青すぎる。煙を吐く。すると彼は勝手に再生を中止した。

「犬を飼ったことがないあなたに、何かを失う――いえ、失わなければならない悲しみなんて、わかりっこないわ」

誰かが言った。具体的に言うと、僕が脳みその中で言った。端的に言うと、でっちあげた。それでも、その言葉はある重みをもって響いた。犬は必ず人間よりも先に死ぬ。絶対に目の前からいなくなる友を愛するという愚行。理解できないと思っていた。健は犬ではない。いわば僕の分身だ。しかしある人に愛情をもって育てられた犬も、ある人にとっての分身なのだ。僕は犬が青い珊瑚礁を歌う光景を想像した。そのイメージは「喪失」と題されるにふさわしいものだった。

CDを健から取り出す。彼はもう、歌うことができない。いつか来るとはわかっていた別れ。それは突然すぎた。「おつかれさま」と僕は言った。しばし静寂が空間を支配する。ため息によって僕は停滞しかけた時間を動かした。このチープ・トリックを聴くことはこの先あるだろうか、と思いつつ、何気なくCDの盤面を見ると、そこには阿修羅猫によってつけられたような無数の傷が確認できた。「健」と僕は言った。「健は健康の健」と僕は言った。「健はアキレス腱の腱とはちがう」と僕は言いながら別のCDを再生させてみた。健は元気に歌い始めた。そりゃそうだ。君にだって好き嫌いはある。僕だって嫌いなものは食べたりしない。無理しても吐き出すだけだ。僕は苦笑して、盤質がAだったはずのチープ・トリックのアルバムをディスク・ユニオンの袋にしまった。スネ夫を殺したあとに殺す対象はどうやら決まったようだ。