日記

大殿ごもる前、ふとんに入ってすることと言えば、腹筋運動、自慰、読書、とこの三つに限られるのでありますが(聖書にもこの法則を示唆する記述があります)、この三つを同時にat the same timeに励行することができる人間は聖徳太子の他に存在しませんから、凡人たる僕は三つのうちどれか一つを選ばねばなりません。何回か腹筋をし「鍛えたなあ今日は」という満足感に浸り眠るもよし、何回か性器を刺激し「G.E.N.K.I.元気!」と充足感にまどろむもよし、何枚かページを繰りお気に入りの日本語文を子守唄に目を閉じるもよし。まこと、「ふとんに入ってすることと言えば、腹筋運動、自慰、読書、とこの三つに限られる」(聖書にも似た記述があります)とは言い得て妙でありましょう。一日の終わりが、ささやかではありますけれど、確かに彩られます。
昨日の出来事ですが、僕はとある詩人の詩集をふとんにくるまり読んでいました。これは、と思う一節があったものですから、独りカプカプとほくそ笑みながら頭の中で反芻し、今日も気持ちよく寝ることができそうだな、と本を閉じて枕元に置き、眠りにつきました。すぐに寝息をたてていたはずです。なぜなら、本を閉じて枕元に置いてから記憶がスポーンと抜けていたからであります。気がついたとき、僕は本とキスをしていました。本のカバーはどこかへいっていました。ふと下腹部の突起周辺でカサリと音がしました。パンティーからまろびでた僕の息子が、本のカバーをかぶっていたのです。かぶったうえにまたかぶっていたのです。由々しい事態でした。しかもまろび息子は直立しておりました。傘、という漢字が僕の脳裏をかすめるには充分な光景でした。くわえて両足とも壁に踵落しを決めたような状態になっており、ちょうど腹筋運動を行うのと似た体勢になっています。ああ! と僕は思いました。腹筋運動、自慰、読書、この三つを、僕は寝ている間に、寝ているというのに、こなしてしまったのだ。己が聖徳太子級の偉人へとレベルアップしてしまった衝撃は小さくはありませんでした。僕は昨日までの僕ではない。これから一人称を「僕(a.k.a.僕)」にしなければならなくなる。面倒だ。偉人ゆえの悩み。凡人にはわかるまい。僕は震えていました。震えが止まりませんでした。尿意でした。少し漏れていました。僕の偉人生活はこうして終わりを告げました。