ぼくのわたしの月光条例

2008年僕的漫画大賞は島本和彦の『アオイホノオ』でほぼ決まりかしら、と年が明けて間もないのに思っていたころ、去年の僕漫画大賞受賞者はデッケエ爆弾を用意していたのである。藤田和日郎が『月光条例』で週刊少年サンデーに帰ってきた。おとぎばなしのキャラクターたちが色々あって狂っちゃうので色々あって鈍器(♀)を使用しぶん殴って修正するというこのお話、第一話から広げた風呂敷がタクラマカン砂漠よりも大きくなってしまっているのであるが、そのぶん期待もゴビ砂漠級なのだ。続きはどうなるのか。鈍器(♀)は何故ヒロインより先に乳首を披露したのか。気になって仕方がない。人をわくわくさせる漫画を描くことができる人は本当にすごい。といっても僕は藤田先生に調教されきっているので、「むかしむかし……」という始まり方をされるだけでわくわくしてしまう。わくわく7である。どのようなおとぎばなしが題材として使われるのか。読者にとって一番気になる点はそこであろう。予想したくなってしまうのが少年漫画読者の常だ。ぼくの月光条例。いくつか考えてみた。昔話・童話・おとぎばなしの区別は気にしない。色々気にしない。なんでもいいのだ。漫画家は紙の上で常に自由だ。

ももたろう

川へ洗濯に行ったおばあさんは、どうんぶらこどうんぶらこと流れてくる巨大な桃を発見した。家に持ち帰って割ってみると、桃の中から元気な男の子が生まれてきた。「おお……名前をつけてあげないと、おじいさん」「桃から出てきた男の子だから……そんな子は、食うてしまわないとなア(パキキキ)(擬音)」。

浦島太郎

浦島太郎が浜をうろついていると、子供たちにいじめられている亀を発見した。「やめないか」。浦島太郎は釣竿を振り回し駆け寄っていく。「だってこの亀、とろいんだぜ」。悪びれない子供。「だからといって、いじめてはいけない。むしろそんな亀は、食うてしまわないとなア(メキョキョキョ)(擬音)」。

金太郎

「そんな熊は、食うてしまわないとなア(アシアシ)(擬音)」。

金太郎(episode.2)

「そんな酒呑童子は、食うてしまわないとなア(ガラガラ)(擬音)」。

笠地蔵

「そんな手ぬぐいは、食うてしまわないとなア(ジゾゾゾ)(擬音)」。


僕が漫画家になれる日は果てしなく遠い。

ゆらゆらとふるべ

お勧めの音楽なのである。

YouTubeをそのまんま貼ることしかできない僕の非力を恥じるほかない。とにかくクリックしていただきたい。「The Hoosiers」というイギリスのバンドによる「Goodbye Mr.A」という曲だ。メロディーが、声が、リズムが、ギターが、全部耳に張り付いて離れてくれない。この感覚は久しぶりだ。The New Pornographersの「The Law Has Changed」を聴いたとき以来だろうか。いてもたってもいられずアマゾン・ドット・シーオー・ジェーピーへ飛び、さっさとCDを届けやがれと命令した。早くて届くのは11日後だと言われた。このマザー・ファッカーが。11日待ちます。だって外寒い。冬将軍がダブルラリアットしてる。CD屋につくまでに殺されてしまう。殺されるのはいやだ。
とにかくこのThe Hoosiersはヤバい。気になって調べてみたところ、既にイギリスではガンガン大ヒット中だそうだ。当たり前か。ということは日本でもとっくに話題になっていることだろう。僕は日本国民ではなく埼玉共和国民なんで情報に疎い。最近のイギリス産バンドはどれもこれもよくわからないものばかりで、アメリカの方に傾いてばかりだったのだが、いやはや恐れ入った。やればできるイギリス。イギリスやればできる。アリとイギリリス
このバンドに僕を巡り合わせてくれた「FIFA08」というサッカーゲームに感謝を。エレクトロニック・アーツ社のゲームはいつも僕の音楽ライフをあたためてくれる。ありがたいことだ。「FIFA08」では、試合中以外は基本的に何かしら音楽(実在のバンドによる曲)が流れているのだけど、「よし選手を交代しよう!」とポーズを押して「Goodbye Mr.A」が流れると、ついつい聴き入ってしまって困る。曲が終わるころには僕が何のためにタイムを取ったのか忘れてしまって困る。EA様、今後も僕を困らせてください。


http://www.h6.dion.ne.jp/~ninny/rockstar/index.html
ちなみにロックスターサイトが更新されている。あけましておめでとうございました。

2007年私的重大五大ニュース

先ほど今年の抱負を自宅で表明した。今年とはもちろん2007年を指す。毎年毎年抱負抱負だと元旦あたりに皆が皆一様にざわついて、三が日を過ぎると「抱負とはなんぞや」と自問することすら忘れてしまう。僕の生活に身近なようで実はとっても遠い、それが抱負だ。実現できたためしがない。豊富な包皮をもってデリケイト・スティックを覆い隠す偉業は常日頃から実現しているのだが、こと抱負となると、元旦に立派な目標を立てたとしても「まだあと365日あるから明日」などと考え、一月二日には「たこをあげるのが忙しいから明日必ず抱負」、三日には「おしょうがツー。プスクスー」。もう忘れてる。抱負のことなんて頭の片隅にすらない。あれほどきらきら輝いていた抱負がもう捨てられた。万が一何ヶ月後かに抱負を思い出したとしても、時既に遅し、抱負はプンプン怒ってそっぽ向いている。そして「バカっ」とアニメ声で悲しげに吐き捨て全速力でどこかへ去っていく。行かないで、なんて言っても無駄だ。そう、彼女を遠ざけたのは僕なのだ。抱負。ああ。負けを抱くと書いて抱負。
彼女の笑顔を取り戻すために僕は今年の抱負をついさっき決めた。制限時間は残り12時間をきっている。これならば、「今日はちょっと乳首がうずくからまた明日」なんてほざく余裕はない。死に物狂いで、血眼になって、抱負実現のために邁進しなければならない。しかし焦っては空回りしてしまう。ホー・ホー・フー、というラマーズの呼吸法を駆使して気を落ち着かせる。抱負、そう、ついさっき小便をした僕は、そのときハッと「今年中にもう一度小便を放出する」と決めたのだ。誓ったのだ。もう一度彼女に、アニメ声で「バカっ」と、しかし笑顔で言ってもらうために――僕は空っぽの膀胱を揉む。痛む。構わない。ホー・ホー・ニョー、という新手の呼吸法も駆使する。出す。絶対に出す。僕が僕であるために


尿意が到来するまで、僕の2007年重大五大ニュースをお楽しみください。「十大」じゃないと「重大」と並べる意味がないのですけれど、こんなちっぽけで壊れそうなものばかり集めてしまう人間に、十もニュースがあるはずないのです。

プロ野球横浜ベイスターズ古木克明選手、トレードでさようなら

これは笑った。なかなか契約更新しないな、もしかして……とは思ってましたけど、本当にトレードされるとは。松坂世代のドラフト1位なのに容赦ない。内野ゴロを捕球してファーストへ投げようとしたらすっころんだり、お立ち台で「子どもの日に打ててうれしい」みたいなことを5月4日に発言したり、「石井琢朗」を「石井豚朗」と書き間違えたりと、色とりどりの変な伝説を残した人ですが、2002年後半に彗星のごとく現れて打ちまくってたときは本当にドキドキしました。もう横浜のユニフォームを着た彼を見れないのは寂しいですが、新天地オリックスで打撃フォームが固まるのを期待してます。というかアホウな補強ばかりしているオリックスは来年かなり面白そうです。機会があったら見に行こうと思います。

僕、XBOX360を買う

まさか毎日据え置きゲーム機の電源をつける生活が再びやってくるとは思いませんでした。もともと次にゲーム機を買うとしたらXBOX360、と漠然と考えていましたが、清水の舞台から飛び降りてよかった。ゲームばっかりやってるわけにもいかんのですが、日々の生活に確かないろどりを与えてくれています。次世代ゲーム機、っつーとグラフィックのことばかり取り沙汰されて「中身には変化ないんだろツマンネー」みたいな印象が一般にあるように思えますが、XBOX360は違いました。見た目も中身も次世代感バリバリです。なにがどう次世代なのかは長くなるので書きませんけれども。『あつまれ!ピニャータ』も『デッド・ライジング』も『ロスト・オデッセイ』もどれも面白い。日本では悲劇的に売れてませんが、ソフトはたぶん今後も出るので安心してます。たとえ今現在発表されているラインナップで打ち止め、ってことになっても問題ないくらい遊びたいソフトがありますしね。はてなのIDと同じ名前でやっていますが、もしオンラインで見かけたら優しくしてください。でも滅多にネットには繋ぎません。希少動物。というか「が」が多い。汚い日本語であることよ。

僕、齢26にしてライブで泣く

先日、12月7日に渋谷AXで行われたピロウズのライブでの出来事。ライブ見て「涙ぐむ」くらいまでは何度も何度もありましたけれど、普通にボロボロ泣くっていうのは初めてでした。でも仕方ありません。「Ninny」と「Beautiful Picture」、ピロウズナンバーの中でも僕が特に特に思い入れのある二曲が連続で演奏されたんです。しかもライブで聴けることは無いだろうなあと諦めかけていた曲たち。耐え切れるはずがない。

僕、齢26にしてサッカーの面白さに気づく

去年まではゴールシーン以外別にどうでもいいくらいの最悪な見方をしていましたが、2006年ドイツワールドカップチェコのゲームを偶然見て、あれっ、これってエキサイティングじゃねーかと思ったのがきっかけで、今年になって本格的に興味を持ちました。スポーツも音楽も学問もなんでもそうですが、「仕組み」というか「システム」を理解できるようになると、急激に面白くなりますね。サッカーというのはピッチ上に「空間」を作り出したりそれを埋めたりすることに選手が色々がんばるスポーツ、と僕は勝手に思ってます。だから中盤でこねくりまわしたりするのね。EURO2008チェコがどこまで行くか楽しみです。

僕、五個目のニュースが特にない

来年もどうぞよろしくお願いします。尿意はいまだきません。就寝時間が迫っております。

グレコローマン・ゴー・トゥー・イエスタデイ

ザ・ピロウズのライブが今日なのですけど、キングレコード時代のシングルを全部集めたCDボックス発売に伴うツアーとあって、メンバー自ら「昔の曲やる」と公言しており、小学校のころ昔遊びクラブというクラブの部長だった僕といたしましては、昔と聞いては黙っていられない。ケン玉で「もしかめ」を延々と繰り返しつつ、ときおり「フリケン」を決めつつ、この日を待ちわびておりました。もう既に名古屋と大阪の公演は終わっているはずで、どんな曲が演奏されたかは明るみに出ているのでしょうが、ピロウズの情報をピほどにも仕入れなくなってしまった僕はものすうごく真っ白な状態でライブに臨むことができます。この僕のぴかぴかのキャンバスに、ピロウズはどんな色をぶっかけてくれるのでしょうか。楽しみが膨張騒ぎであります。
さて、その純真無垢な青少年な天使な小生意気(注・僕のこと)による、「今日のライブでやってくれ曲」リストです。

「この曲やらなかったら殺す。何度も何度も殺してやる。一生お前を殺し続けてやるからな!」「ギャアアア!」級の曲

「Ninny」「Beautiful Picture」「Spiky goose」「Going Down」「Tiny Boat

「この曲やらないならお前残りの人生をあの隅っこのほうで生きろ。」「嫌だ、と言ったら?」級の曲

「レッサーハムスターの憂鬱」「開かない扉の前で」「Curly Rudy」「Skelton Liar」

「夏を司るチューブにはたらきかけて、この曲を演奏してもらうんじゃよ。」級の曲

「そんな風に過ごしたい」「Wonderful Sight」「Come Down」



ほんと「Ninny」やらなかったら犬をけしかけます。答え合わせは明日。では会場で同じ空気を吸いましょう。

いちからか? いちからせつめいしないとだめか?


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この月に買ったコミックスでございます。左から『よつばと!』7巻(あずまきよひこ)、『少女ファイト』3巻(日本橋ヨヲコ)、『黒博物館スプリンガルド』(藤田和日郎)。なんと無駄のないラインナップか。これは読まずに死ねるか、読んでおくべき、読む時、読めば読め、という漫画しか買っていません。これ以外にも何か購入したような記憶がなくもないのですが、この三作の前では残念ながら取るにたらないものでありましょう。とか言っといてめっさ好きなものを買ってたりするパターン。
よつばと!』はなんとなく雰囲気が変わったような気がします。よつばが成長してきたということなのでしょうか。表情も豊かになってますしね。相変わらずニコニコと気持ちのよい笑みを浮かべながら読めました。もちろん、第三者から見れば気持ちの悪い笑みであることは疑いようもありません。でも笑っちゃう。しょうがない。よつばに殴られる動物を見るたびに笑ってしまいます。前はヤギ、そして今回は羊がよつばに殴られたのですが、パンチヒット直後における彼らの絶対零度的無表情には、『ドラえもん』世界に通じる趣があります*1。「殴る」という言葉のチョイスもたまりません。子供が主人公のほのぼのコメディーなのに、「ぶつ」や「たたく」ではなく「なぐる」。しかも漢字で「殴る」。語感の持つバイオレンスさと、よつばと世界の柔らかさのギャップがどうにも笑える。ひとつかみのバイオレンス。まさに『ドラえもん』の魅力の一つではありませんか。「やんだはバカだな」というセリフも、なんか無理やり『ドラえもん』と結び付けたくなってしまいますな。
少女ファイト』、これも鉄板で面白い漫画です。日本橋ヨヲコさんが描く女性キャラの顔面造形に、いわゆる「萌え」というものを感じることは全くない僕ですけれど、この巻の小田切さんには何故か無性にドキドキドキドキさせられてしまいました。読んだ方は僕がどのシーンでドキをムネムネさせているかおわかりだと思うのですが、そのページ周辺をなんだか繰り返して読んでしまう。小田切さんの事情に限らず、作品全体的に今後の展開が非常に楽しみな漫画です。しかし隔週刊のイブニングにおいてこれまた休みを結構とっているので、発刊ペースが遅いのが残念。残念というか、僕を干からびさす気か。『もやしもん』といいイブニングってなあヨォウ。
そして『黒博物館スプリンガルド』。藤田和日郎が短編・中編の超名手であることを再確認しました。十郎兄さんの例を挙げるまでもなく、彼は単行本一冊くらいの分量で話を作るのが非常に巧い。非常に巧いというか、僕が勝手に非常に好んでいるだけなのですけれども。『スプリンガルド』も見せ場が沢山ある血の通った漫画でした。墓地を横切って跳ぶ二人のバネ足ジャックのコマがカッコよすぎる。話の熱さはもちろんのこと、絵単体でも僕もハートをぶったぎらせてくれます。大好きフジタカジュピロ。まさか「2007年僕的漫画大賞」の候補に同一漫画家のモノが入ってくるとは。『邪眼は月輪に飛ぶ』も『スプリンガルド』も甲乙つけがたし。ちなみにもう一つの大賞候補は『とめはねっ!』です。90年代黄金期サンデーで育った世代です。

日記

大殿ごもる前、ふとんに入ってすることと言えば、腹筋運動、自慰、読書、とこの三つに限られるのでありますが(聖書にもこの法則を示唆する記述があります)、この三つを同時にat the same timeに励行することができる人間は聖徳太子の他に存在しませんから、凡人たる僕は三つのうちどれか一つを選ばねばなりません。何回か腹筋をし「鍛えたなあ今日は」という満足感に浸り眠るもよし、何回か性器を刺激し「G.E.N.K.I.元気!」と充足感にまどろむもよし、何枚かページを繰りお気に入りの日本語文を子守唄に目を閉じるもよし。まこと、「ふとんに入ってすることと言えば、腹筋運動、自慰、読書、とこの三つに限られる」(聖書にも似た記述があります)とは言い得て妙でありましょう。一日の終わりが、ささやかではありますけれど、確かに彩られます。
昨日の出来事ですが、僕はとある詩人の詩集をふとんにくるまり読んでいました。これは、と思う一節があったものですから、独りカプカプとほくそ笑みながら頭の中で反芻し、今日も気持ちよく寝ることができそうだな、と本を閉じて枕元に置き、眠りにつきました。すぐに寝息をたてていたはずです。なぜなら、本を閉じて枕元に置いてから記憶がスポーンと抜けていたからであります。気がついたとき、僕は本とキスをしていました。本のカバーはどこかへいっていました。ふと下腹部の突起周辺でカサリと音がしました。パンティーからまろびでた僕の息子が、本のカバーをかぶっていたのです。かぶったうえにまたかぶっていたのです。由々しい事態でした。しかもまろび息子は直立しておりました。傘、という漢字が僕の脳裏をかすめるには充分な光景でした。くわえて両足とも壁に踵落しを決めたような状態になっており、ちょうど腹筋運動を行うのと似た体勢になっています。ああ! と僕は思いました。腹筋運動、自慰、読書、この三つを、僕は寝ている間に、寝ているというのに、こなしてしまったのだ。己が聖徳太子級の偉人へとレベルアップしてしまった衝撃は小さくはありませんでした。僕は昨日までの僕ではない。これから一人称を「僕(a.k.a.僕)」にしなければならなくなる。面倒だ。偉人ゆえの悩み。凡人にはわかるまい。僕は震えていました。震えが止まりませんでした。尿意でした。少し漏れていました。僕の偉人生活はこうして終わりを告げました。

恋の予想天気図

規模がでかい台風ほど関東に上陸するかしないかのところで進路を変更して太平洋に抜けていくような気がする――と昔ここに書いた記憶がある。図体がでかい奴にかぎって、実はシャイなナイスのボーイだった。そんなラブ・コメディのキャラクター造形と似た印象を僕は台風に抱いていた。彼は関東に何度も何度もアタックしようとする。夏はTUBEが司る恋の季節だし、秋はTUBEの余韻が司る恋の季節なので、意外と夢見がちな台風は、ゲンをかついで夏と秋だけ、恋する自分をそのまま関東にぶつけてみようとする。体当たりの恋だ。台風も関東も食パンは咥えられないけれど、とりあえずぶつかればなんとかなるのではないか。恋が始まるのではないか。台風は思う。しかし彼はシャイなナイーブのボーイなので、いつも寸前で怖気づいてしまう。関東とぶつかって、彼女がドタマから血ィ流してしまったら恋どころではなくなる。「故意じゃないんです!」と法廷で証言をしなければいけなくなる。マイナスの考えばかりがぐるぐると渦を巻いて、イヤーな汗が出たり鼻息が荒くなったりする。これでは例え関東子がドタマ血ィを回避できたとしても、気持ち悪がられてしまう。ダメだ、ダメだ、俺はダメな男だ。台風は太平洋へ逃げていく。
今回もそうなるだろう、と僕は思っていた。気象予報士が何を言ったって、関東子を目の前にすれば台風は逃げる。なにしろ彼はシャイなセンシティブのボーイなのだ。関東子が「あなたのこと嫌い」と言ったわけでもなく、拒絶を態度で示したわけでもないのに、独りで勝手に結論づけて尻込みしてしまう。「こんなヘクトパスカルじゃ、絶対に無理だ」と思い込んでしまう。僕はそんな台風をただ見守っていた。彼が自分で気づかなければいけない。だから僕は台風が関東に上陸するだろうと言われていたその日、外出した。無言の激励のつもりだった。どんなヘクトパスカルでもいいんだ。問題はヘクトパスカルじゃないんだ。君が関東のことをどう思っているか。それが重要なんだ。ミリバールだろうがヘクトパスカルだろうが、君は君だ。
雨は強くなったり弱くなったりを繰り返した。迷っているんだろうな、と僕は思った。進行速度も遅い。気持ちはわかる。僕も高校生の頃、エロティックな本を買おうとして、エロティックなお店に行き、エロティックに満ちたマガジン・ラックの前に立ったときに、君と同じような状態になった。心臓はデスメタルやジャズや武満徹など様々なリズムで僕を翻弄した。エロティックな雑誌を手にとってレジに向かおうとしても、足が思うように動いてくれなかった。本当にこのエロティックでいいのか。あっちのエロティックのほうがさらにエキサイティングなのではないのか。最後はチョコボール一粒ほどの小さな勇気が僕を前進させた。そのときに買ったものが素晴らしくエロティックだったか意気消沈ティックだったかは忘れてしまったが、大切なのは結果じゃない。一歩、踏み出すことなのだ。僕はあの時のエロティックなマガジンのことを思い出そうとした。やはり記憶の彼方だ。しかし、苦しくも甘く、くすぐったい胸の疼きは、あの頃感じたそのままに、すぐよみがえる。
急に風が強くなった。雨足も激しくなった。窓の外が見えない。窓に映る僕の姿も、ぼやけてよく見えない。笑っていただろうか? それとも? 僕は目を閉じた。台風は一歩を踏み出したのだ。関東子の気持ちを確かめるために。雨粒が窓を絶え間なく打つ。その音はまるで台風の緊張を丸写しにしたようだった。「ぼぼぼぼぼっぼぼぼぼぼぼくは、」「きききっききききききみのことが、」「すっすすすすすっすすすす――」
武蔵野線は現在、台風による強風のため運転を見合わせております。お急ぎのところ……』
車内アナウンスに台風の声が重なって、肝心な部分が聞こえなかった。台風は気持ちを伝えることができたのだろうか? そして関東子はどう応えたのだろうか? いいところを邪魔しやがって、とは思わなかった。結果がどうあれ、彼は一歩を踏み出したのだ。僕がエロティックな階段をのぼったのと同じように。それだけで十分じゃないか。彼はもう一人でやっていける。僕は目を開けた。武蔵野線の座席に腰掛けて三時間が経っていた。駅員がタクシーによる代行輸送の開始を告げていた。人々が一斉に走り出した。窓枠を叩く雨の音はますます大きくなっていた。それは喜びのダンスに合わせたリズムなのか、悲しみにくれる叫びなのか。どちらでもいい。どちらでもいいけれども、前者であったら、一緒に踊りたい。僕は立ち上がった。